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2008.10.12 Sun
彼が今回の悪役でした。天才腹話術師。偉大なるシュムダ。
ジョナサン・キャロル「薪の結婚」を読み終えました。ずいぶん前に購入していたのですが、読むための心の準備ができなくて…。やっと読むことができました。
すごく好きだと分かっているもの、これが自分に対して何かしてくれないと困るもの。そういう位置づけである、この作者の本を手にするときには、いつも細心の注意を払ってしまいます。面白くないなんて、そんなことがあってはいけないのです。全くもって、勝手な言い分ですけれど。
前作(翻訳されているものの中では)はお得意のダークファンタジーから離れ、ミステリーに的を絞っての力作でしたが、今作は再び素晴らしい暗さを、幻視を取り戻し、震え上がらせてくれました。女性が主人公だったこともあり(でも何でこんなに女性心理を理解出来てるの!?)、何かと考えさせられる描写も多く、1ページ読むのに他の作家の本の数倍はかかってしまいました。
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思うに、女性と云うのは常に護るということが頭にあるような気がします。自分を守る、という基本的なものから、子を宿して育むという保護的なもの、それに、大切な人が危機的状況のときには、他のあらゆることに目を瞑り、その人が助かる道だけを考えるという、救済的なもの。今作では女性のそんな側面についても描かれているように思いました。
でも、若い女性や小さなお子さんのいる女性には、理解しがたい物語でもあるでしょう。そういう意味で、新しい本ではありますが、読者を選ぶと思います。
たとえ、そうだとしても。わたしにとっては、やはりこの人は、信頼出来る。こっちが奈落の底にいたとしても、魔法や、手品や、何か分からない素敵なことで救い出してくれる。そう再認識させてくれました。同じ時代に生きられて、本当に嬉しいと思わせてくれる作家です。
タイトルの「薪(たきぎ)の結婚」とは、何か記念すべきことが起こった日に、一本の薪を拾い、それに日付と簡単なコメントをして持っておく。人生が終わる日、またはもうすぐ終わると分かったときに、その薪らを一気に燃やすこと。
これだけで、もう。
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2008.10.08 Wed
某クールで知的でスタイリッシュなブログにて、興味深い記事を拝読しました。もし音楽が聴こえなかったら。五感のどれかでも、使うことが出来なかったら。
以前読んだ本で、もうすぐ失明することが分かっている男の話がありました。彼は見ておきたいもの、覚えておきたいものは何だろうと考え、それを常に、失明するまでの間眺めていられるよう、写真に撮って手元に置きました。しかし……という話しでした。
結末は書きませんが、涙が止まりませんでした。
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もし音楽が聴こえなくなるとしたら、最後に何を聴きたいか。もし失明するとしたら、何を見ておきたいか。わたしたちは常に、考えておく必要があるのかもしれません。
考えることで、どんどん求めるものがシンプルになり、確かなものになるような気がしてなりません。
ただし。大切にしたいものと、大切にしなければならないもの。これが違うというひとは、ご注意あれ!何かと苦しむことになるでしょう(笑)。
文中の本は…何だったかな〜。
思い出したら掲載させていただきます。
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2008.09.18 Thu
先日帰省した際に、久々に会った従姉がいます。彼女とは歳が離れていて、わたしが物心ついたころにはすでに看護婦として働いていました。
彼女は自他共に認める努力家で、仕事に就きながら勉強を続け、現在は、故郷の隣県にある看護学校で教壇に立っています。小さいころにほぼ接点がなかったこともあり、何となく近寄りがたい従姉であったことは確かです。
彼女とは親戚の結婚式くらいでしか会う機会はなかったのですが、今年はたまたま帰省のタイミングが合い、彼女の家(というか伯父の家)に集い、キリタンポを食しながら話しをすることができました。
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伯父夫婦、祖父の弟、わたしの両親、そして従姉とわたし、という年齢層が極めて高い構成で、呑み会が始まりました。従姉は最初から飛ばしており、手酌でビールを注ぎまくるので、若干あきれて見ていました。「いやー、今日は楽しい!」そう云いながら呑むわ呑むわ……。わたしのグラスにも勝手に注ぐし、自分のは入っているのに注ぎ足して豪快にこぼすし……。普段は厳しい先生で通っているらしいので、教え子に是非見せてあげたい光景でした。
しかしながら話しは楽しく、まさか彼女と恋や人生について語り合うときが来るとは思ってもいなかったのに、やたらと腹を割って話せるというのは、お互いに年齢を重ね、それを心から楽しんでいるからのように思えてうれしかったのでした。彼女はずっと独身を通してきていて、自分でマンションも購入し、老後にまっしぐらだと自嘲気味に話していましたが、ふと、
「わたしね、今度犬を飼おうと思ってる。」
と云い出したのでした。
「えーどうして?○○ちゃん犬なんて好きだった?」
「よく分かんないけどね。世話は出来る。妹が飼ってるの見て、決めた。」
「何それ?」
「何だろね。」
「でも、いいね!」
わたしたちは意味なく乾杯し(髭男爵…。)、くすくすと笑いあったのでした。
老人たち(すごい失礼)が何故か唄い出すなか、彼女とわたしのささやかな願いのようなものが、妙な連帯感を生んでいたようで、可笑しかった。何故か今よくあのときの光景を思い出すのでした。いろんな人生があるものだ!などと思うのでした。
いつか、犬が飼えるかしら?
口にするだけで愉快な気分。おかしな呪文。
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2008.09.03 Wed
「エリーゼのために」は、本来「テレーゼ(Telise)のために」という曲名だったが、悪筆で解読不可能など何らかの原因で「エリーゼ(Elise)」となったという説が有力である。テレーゼ・マルファッティはかつてベートーベンが愛した女性であり、本曲の原稿は彼女の書類から発見された。エリーゼのために - Wikipedia より 電話を買った。今までのはファクス付きの巨大な代物だったが、今回購入したものはコードレスの電話。親機がすでにコードレスになっているカワイコちゃんだ。色もドドメ色からパールホワイトへと華麗なる変身をとげ、着信音だってどこかの国のワルツが選べる。最高だ。
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前の電話はかれこれ十年近くは使っている。当時はまだファクス付きの電話は割と高価だったが、パソコンを持っていなかったので、実家の両親とのやりとりで、電話で足りないいろいろな想いを紙に描き、ファクスで送り合ったものだ。はじめてのホームシックも慣れない環境も、ずいぶんそれで癒され、助けられたものだ。
しかし、かなり前にファクス部分の機能がだめになってしまい、使えないくせにいっちょまえに場所を取っている電話は不要に感じていた。インターネットで検索しながら、何度か購入を考えていた。もう何年かそんな状態だった。
でも、今までは買わなかった。それには一応理由がある。
恋が終盤にさしかかるのを感じていたころ、留守番電話にオルゴールの音色が吹き込まれていた。みんな知ってるクラシック、「エリーゼのために」だった。この曲のエピソードとして、テレーゼという女性のために書いたのに、字が汚すぎてエリーゼとして知れ渡った、という何とも云えないものがある。伝わっていないのだ。こうなったらもう、誰のためなのか分かったもんじゃない。それどころかベートーベンはこのテレーゼに失恋している。名曲を作ったのに踏んだり蹴ったりだ。
アルバイトから帰って、留守番電話の明滅するボタンを押して、それを聴いた。堰を切ったように、涙が出たことを憶えている。
もしかしたら間違い電話かもしれない。誰か他のひとの仕業かもしれない。でもこんなことを思いつくだろうと思いついたのは、ひとりだけだった。恋してたから、故に反射的に。
ずっと消せないでいた。もうとっくに気持ちの整理はついているし、未練は全くない。なのに、消せなかった。我ながら女々しいと思う。でも、何となく消せないものもあるのだということを、わたしはこの恋から学んだのかもしれない。
新しい電話をつなぐ前に、もう一度だけ聴いた。そして、消去ボタンを押した。
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2008.09.03 Wed
とあるかたから微妙な態度を取られてしまい、嫌われたいんならはっきり云えばいいのに……などと思う日々が続きました。こういうのはなかなか確認しづらいところもあるし、単に気を惹くための駆け引きだとしたら、幼すぎて少々幻滅するものでもあり。人間関係とは、難しいものです。
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しかしそのおかげで、案外自分が自分を好きだという事実にも気付きました。何かあったときに真っ先に自分を助けられるということは、大人になった証拠なのかもしれません。真っ先に他人を助けられるのは、聖人か人の親くらいのものですが。自分くらいはコントロール出来るのだ、と思うと、ささやかながら自信をつけたようにも思います。
この先、いくら遠回りしても手に入れたいもの、それと、そろそろ手放すべきかもしれないもの。いろいろとありますが、自分を見定め、正直に、時に他人の気持ちを考えることを止めて、力強く進むことも大切なんだと、この歳(妙齢…!)になって思う次第です。
タイトルはキリンジの「汗染みは淡いブルース」より、捩りなしで拝借しました。
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